ショタのブリチラとロリのパンチラ、似た点もあれば全然違う部分もあります。だから自分はショタのブリチラはパンチラとはなるべく表現しないようにしています。
ロリのパンツはそれ自体エロの対象となりえます。女の子のパンツはエロい。ただ昔はむしろはしたない、汚いという言われ方もしていたようです。子供の付けたただの布切れのどこがエロいの?というのが、少なくとも表向きは言われていた時代・・・子供をエロの対象とすることを忌避し認めなかった時代とも言えるのかもしれません。
とはいえ子供を堂々と性の対象としていた時代もありました。女児を妻とした光源氏は言うに及ばず戦国時代など妻を持つ大名が小姓を夜の相手にすることは決して隠すようなことではなかったのです。それが明治以降、子供を性の対象とすることは隠すこと、忌避すること、子供に対する性欲自体が元来人間には備わっていないものとされ、子供に性欲を持つ人間は忌むべき変態、人間としての出来損ないとされていきました。
時代が降り、子供を性の対象とする人間が少なからず存在することが大っぴらになる時代がやってきました。ロリコンブームです。ただしその頃、性の対象となるのはあくまで男性から見た女児であり、男児は性の対象とはなり得ない存在というのが一般的な認識でした。時々男児が性被害に遭うこともありましたが、それは死姦趣味者の如く、ごくごく少数の変態の仕業であり、男児は一般的な性欲の対象とはなり得ないという認識を覆すものではなかったのです。
女の子はエロい、男の子はエロくないという時代において、パンツを見せる女の子はエロの対象となるのに対し、パンツを見せる男の子は(少なくとも表向きは)単にみっともない 存在でした。ですが実際、小学生の男の子はとてもエロい存在です。それは古来、ローマ人や戦国大名、異性との性行為を禁じられた宗教者たちが男児たちと交わってきた歴史が証明しています。よって、現代のショタは本当はエロいのに、表向きはエロの対象とはされず、そのためエロさを隠すことも強制されなかった存在となりました。
その象徴的行為が小学生の身体測定でしょう。早くから女児はエロの対象となることを認識され、保護するための処置を取られたのに男児の裸はエロくないという共通認識のもと、パンツ一丁で廊下を行進させられることがまかり通っていたのです。
さて、ブリチラです(やっと戻ってこれた・・・)。長いこと男の子のパンツはエロくない、汚い、みっともないとされましたが、ブリーフはその形状、色も女児のパンツと大差ありません。そしてペニスの存在を前開きの盛り上がりがアピールする・・・この倒錯的下着は男児下着はエロくないという呪縛の存在下でさらに魅力を増していきました。
かつて男児服に機能として下着を隠すことは必要とされませんでした。そのため半ズボンや体操服の短パンは運動性を重視され、必然的に足が動きやすいように足の付け根は服に覆われる面積は小さくなります。そしてブリーフと半ズボン・短パンの組み合わせがブリチラという一つの芸術を生み出します。もともと倒錯的な魅力のあるブリーフが、それを隠すべき服から見放され、みっともなく顔を出す・・・本来エロくない存在がエロくないものを曝け出しているのに実はとてつもなくエロい・・・
それをさらに際立たせるのが見られたくないという羞恥心です。みっともなくて恥ずかしいのに服は全く守ってくれない、そして大人たちも彼らのあられも無い姿を性欲の対象と認識することを拒絶し保護しない・・・
この倒錯の結晶ともいうべき存在がブリチラなのです
田中太郎さんのショタベントカレンダー2020に今年も参加させていただきました。他の方の記事もアクセスお願いします!

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