andyがショタコンになったきっかけ

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これは以前、私がショタコンになった経緯をフォーラムに書き込んだものですが、サイトの仕様を少し整理したいと思い、ここに転載します

ショタコンの一部の方は少年時代の性虐待が原因となっているという記事をどこかで読んだ事があります。それが正しいのかは分かりませんか、少なくとも私に関しては間違いなくそれが原因だと思います。

これまで家族にも友達にも打ち明けてこなかった事ですが、生涯秘密を背負っていくのも何か嫌なのと、もしかしたら私を性虐待していた人がこれを読んでくれたらと思ってここに書きます。

私がTさんに出会ったのはおそらく小学校1年生の頃でした。この辺、正確な年齢が明確に思い出せないので2年生くらいだったかもしれません。

両親が共働きだったので私は小学校にはいったらすぐ学童保育に入れられました。当時は今ほど共働き家庭が多くはなかったように思いますが、私のクラスでも学童保育に行っている同級生はもう一人くらいしかいませんでした。学校が終わるとその子と連れ添いながらとなりの学区にある学童保育まで歩いて通っていました。

学童保育が終わると、家の近い者同士で集団で帰宅していきます。その時は他学年の人とも一緒になりながら多いときで5.6人の集団で帰っていました。

その中に一人、まさにドラえもんに出てくるジャイアンのような6年生くらいのガキ大将のがいました。ただし本物のジャイアンほどは怖がられておらず、適度にからかわれたり、それに大声で反撃したりという関係でした。私は早くからそのガキ大将には優しくされており、今思うとガキ大将に付き従う子分のような扱いを受けていました。私としては別段それが嫌な訳では無く、兄のように慕っていた記憶が残っています(実の兄も居りましたが年齢が離れており学童保育には通っていませんでした)。

休日にはそのガキ大将とよく遊ぶようになり、自宅にも呼ばれました。ガキ大将の自宅は2階建一軒家で若干薄暗い感じだったと思います。二階に部屋があり、そこでファミコンのスーパーマリオを一緒にやったりしました。当時はファミコン全盛期でほとんどの子供を持つ家庭においてあったと思うのですが、私は買ってもらえず(元々欲しがってもいませんでしたが)、スーパーマリオをやるのもそれが初めてでした。アクションゲームが苦手だったこともあり、それほど熱中もしませんでした。そのうちガキ大将から若干歳が離れている様子の兄がふらっと現れました。体型はガキ大将をさらに一回り大きくしたような感じでがっしりというよりでっぷりという印象です。すごい馴れ馴れしい感じだったと思いますが、雰囲気は少し怖い感じでした。そのガキ大将兄(Tさんと呼びます)と一緒に遊ぶうちにどういう経緯か記憶がないのですが、Tさんと部屋に二人きりになっていました。

その後の出来事はほとんど断片的にしか覚えていません。多分一日の出来事ではないとおもいます。

いつも遊んでいる部屋ではない、別の部屋だったと思います。私とTさん二人だけ、私はTさんの前に立っていました。Tさんが馴れ馴れしい口調のまま、私にズボンを脱ぐように言いました。その時赤色のトレーナーと短い半ズボン姿でした。下着は白ブリーフです。

その頃は小学校低学年ではありましたが、白ブリーフ姿になるのは恥ずかしいという感覚はありましたので、もじもじしながらとまどっていたとおもいます。痺れを切らしたTさんは「男の子だろっ 恥ずかしがるな」と怒鳴ったのを鮮明に覚えてます。今思うと男の子であることと恥ずかしい事は関係ないのですが、その頃はそんなことを考える余裕ともないのでなんとなく納得してしまい、男らしく潔く脱ごうという心境になりズボンを脱いでいました。

上着は着たまま、下はブリーフだけになった私はTさんの元へ歩み寄りました。そこからはまた記憶が途絶えていますが、そこからはもうTさんに言われるがままだったような気がします。

次に覚えているのはあぐらで向こう側を向いて座っているTさんが何かごそごそと下半身をいじっているところです。少し経ってからこっちを向き直り、私を呼び寄せました。Tさんは下半身に何も履いていませんでした。Tさんのそれはいきりたっているように勃起していましたが、当時の私は成人のそれがボッキしているのを見たことがなく、最初は何なのか理解できなかったと思います。何かキリンのような別の生き物が下半身に生えている・・・そんな事を思っていました。

私に自分のものを見せたTさんは次にそれを舐めるように私に言いました。だんだんそれが何なのか理解できてきた私は舐めるのを嫌がりました。単純に汚いと思ったのです。当時は当然そういったせい行為があることは知りませんでしたので、何のためにそんな事をさせるのか全くわかりませんでした。

黙ったまま座っている私を見たTさんはさらに追い打ちをかけるように「目をつぶっていいから」と強く促しました。しょうがなく目をつぶって舌先を少し出してほんのちょっとそれを舐めました。それだけでTさんは満足したのか、それ以上のことは強要されませんでした。

その先は断片的にしか思い出せません。

記憶にあるのは布団に寝かされながら見ていた、畳に転がっている割れたレコードの光景です。何かをTさんにされながら、ただただその時間が過ぎ去って欲しいと思っていたのは覚えています。果たしてその時、何をされていたのかは全く記憶が抜け落ちています。ただ、痛い事をされていればおぼえていたと思いますので、おそらく挿入行為は無かったと思います。

時折Tさんは一階の母親から呼ばれて降りていきました。その時Tさんの母親が見つけてくれたら・・・と考えた事も覚えています。

Tさんにされた事で覚えているのはこれが全てです。1日の出来事で無いにしろ、それほど長くは続いて無いはずです。Tさんの家に行くこともたぶん1年も続かなかったと思います。

しかしTさんは毎年のように私の小学校の運動会に現れてはビデオで撮影していました。当時は家族以外が運動会に来る事自体珍しくはなく、撮影も堂々としていました。私も被写体になっていた意識はありましたが、不思議と小学校3年くらいから自分が性欲の対象となっていることにある種の興奮を覚えるようになってきました。どんな風に体操服を着ればエロく見えるだろうなどと考えながら、入場を待ってたのを覚えています。これが私の体操服フェチの芽生えでした。

Tさんとは近所住まいなのでしばしば道で出くわすこともありました。そのたびにTさんは例の馴れ馴れしい態度で悪びれもせず挨拶してきました。私は先ほど書いたようにナルシシズムを抱き始めていたものの、Tさんに対しては非常に強い嫌悪感を抱くようになり、中学生頃になると殺してしまいたいとまで思い積めるようになっていました。ちなみににTさんは私の中学校OBでもあり、中学校の運動会どころか体育の授業にまで見学に押しかけていました。今考えるとすごい話ですが当時はいろんなことにおおらかだったのだと思います。

Tさんに対しては憎しみや恐怖、嫌悪感などいろんな感情を抱いてきましたが、大学入試頃になり、それらが薄れてきました。もうその頃には私も立派なショタコンとして完成されつつあったせいもあるかもしれません。今となってはあの欠落した記憶の部分に何があったのかを死ぬまでにはっきりさせたいという願望が日増しに強くなっています。できればTさんに直接会って聞いてみたいとまで思うようになりました。

おそらく私の受けた行為は今の刑法なら犯罪なのでしょうが、当時であれば合法的な行為だったかもしれません。あるいは犯罪だったとしてももはや時効でしょう。

もし、Tさんがこれを読まれており、もし自分のことだと思われたのならこの掲示板で反応していただけないでしょうか。もしおおっぴらになるのが嫌ならツイッターなり、Pixivなりのダイレクトメールでも良いです。もう私にはあなたに対する処罰感情はありません。ただ、昔の話をして私の記憶を補いたいだけなのです。

私のフェチズムやショタ性癖はTさんのみならず同級生たちによってさらに育まれてきたのですが、それを語るのはまた別の機会にします。

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